河井法相が、妻の公選法違反疑惑で辞任 「忖度」なしの徹底的な捜査が必要 

日テレニュース24は10月31日付で『安倍首相「国民に深くおわび」河井法相辞任』として以下の記事を配信した。

 

河井案里参議院議員に公職選挙法違反の疑いが浮上し、夫である河井法相が安倍首相に辞表を提出した。

 先週、菅原経産相が辞任して一週間もたたないうちに、再び疑惑により閣僚が辞任する事態となった。安倍政権にとっては大きなダメージ。

 河井前法相「たとえ1分1秒たりとも、法務行政に対する国民の信頼が損なわれてしまってはならないと考え、妻と相談した上、一晩じっくり考え、けさ決断した次第であります」

 妻の河井案里参議院議員をめぐっては、ことし7月の参院選で、選挙カーから声かけをするいわゆるウグイス嬢に対して、公選法の規定を上回る日当を支払っていた疑いがもたれている。

 疑惑について河井氏は「私も妻もあずかり知らないところで法令にのっとった選挙活動と信じている」と述べ、調査の上、説明責任を果たす考えを示した。

 安倍首相「国民の皆様に深く心からおわびを申し上げたいと思います」

スピード辞任となったことについて政権幹部は「法律を所管する法相は他の大臣とは違う。疑念が出た以上は厳しい」と話している。

 皇居では31日午前、森まさこ新法相の認証式が行われた。

 相次ぐ閣僚の辞任に与党内からも、「首相は毎回、任命責任は私にあるというが責任を取ったことがあるのか。支持率が下がらないからタカをくくっている」などと安倍首相への批判の声が上がっている。

 

引用以上

 

法務大臣が妻の公選法違反疑惑で辞任という事だが悪い冗談のようだ。法務行政のトップが、妻の参院選における違法行為の疑惑をかけられたのであるから、安倍首相の見る目の無さが際立つ事案である。

この河合氏の妻である河合案里参院議員の公選法違反疑惑については「忖度」などせず徹底的な捜査を行うべきであろう。何かと「忖度」が話題になる安倍政権のことだから、うやむやに事を終わらせることも考えられるからである。

先週は菅原経産相が辞任をしたが、この菅原も札付きのワルであり、一時期は秘書にヤミ金経験者がいたこともあり、全く常識のない人物であることは、地元の練馬では有名であり経産相に任命されたこと自体に大きな驚きを持った人たちが多かったようだ。このような人事は安倍首相なりの論功行賞なのであろうが、「適材適所」とはほど遠い「お友達主義」の内閣人事は安倍首相の足を引っ張るばかりでなく、我が国にとっても有害でしかない事にいい加減に気付くべきだろう。

新たに法相に就任した森まさこ議員は弁護士でもある。どんな法務行政をおこなうのか注目したいが、上述のとおりまずは河合案里参院議員の公選法違反疑惑を徹底的に捜査することから始めてほしい。すでに河合案里議員は「私自身が自分の選挙事務所に立ち寄ることもなかなかできなかったため、事務所運営や事務は、法令遵守の方針のもと、信頼できるスタッフの皆さまにお願いしてまいったところです。」などと既に責任転嫁を図っているのであるから、責任を転嫁された河合案里議員のスタッフらは事実を全て暴露して欲しいものである。

腐りきった安倍政権の支持率が落ちない事が筆者には不思議でならない。

保釈取り消し収容予定の岡崎公栄が逃走 収監に訪れた検察事務官は逃走を幇助した男に轢かれる このようなバカどもの人権に配慮する必要があるのでしょうか?

NHK NEWS WEBは30日付で「保釈取り消し収容予定の女 制止振り切って逃走 大阪 岸和田」として以下の記事を配信した。

 

30日午前、大阪 岸和田市の大阪地方検察庁の支部の前で保釈が取り消され収容される予定だった49歳の女が、制止する事務官を振り切り待機していた男の運転する車に乗って逃走しました。地検は、警察の協力を得て、2人の行方を捜査しています。

検察庁によりますと、30日午前11時前、大阪 岸和田市にある大阪地方検察庁岸和田支部で、保釈が取り消され、収容のため呼び出しを受けていた岡崎公栄被告(49)が「荷物を取りに戻りたい」などと言い、事務官の立ち会いのもとで外に出ました

しかし岡崎被告は、庁舎の前に待機していた男の運転する車に乗り込んで車を急発進させ、制止しようと前に立ちはだかった事務官を振り切って逃走しました。この際事務官は車にはねられ、手や肩に軽いけがをしました。

検察庁によりますと、岡崎被告は無免許で車を運転してけが人が出る事故を起こし裁判中でしたが、保釈決定が取り消されたため、30日、収容に向けた手続きの説明を受けていたということです。

2人が乗った車はあずき色で、検察は警察の協力を得ながら、公務執行妨害などの疑いで行方を捜査しています。

近所の人「びっくりしている」

大阪地検岸和田支部のすぐ近くで働いている女性は「仕事をしていたら大きな声が聞こえたので、外に出ると検察庁の入り口の近くで男性1人が路上に倒れていました。その後は、すぐにパトカーが3台くらい集まってきました。近くでこういうことが起きて、びっくりしています」と話してました。

また、近くに住む男性は「窓の外を見たら、人が倒れていました。早く捕まえてもらいたいです」と話していました。

 

引用以上

 

岡崎公栄は、保釈の取り消しがなされたということだから、保釈の際の遵守事項に違反したものと思われる。無免許運転による事故という事であれば、無免許である事を分かっていて岡崎に車を貸した人物などとの接触を禁止されていた可能性もあるが、制限住所にいなかったとか、そんな事ではないかと思われる。

今回の「逃走」は仲間のバカ男が検察事務官を轢いてまで行った行為であり、計画的な行動であったことは間違いないだろう。

まさか、無免許運転で起訴された人間が「逃亡」するとは検察事務官も思っていなかったのであろうが、バカの考えることは想像を絶するということを、よく理解して収監などには赴くべきであり、こんなバカや車で検察事務官を轢いたクズなどは即刻射殺でも問題ないと思われるので、検察事務官が犯罪者を収監に行く際には警察官も同行して行くべきであろう。

それにしても、保釈の運用がいい加減だからこういうことが起きることは間違いないだろう。逃亡の恐れや証拠隠滅の虞が無いと思われる者らを保釈せず、岡崎公栄のような基地害を保釈してしまうのだから、裁判所は保釈を判断する基準を再考するべきであろう。

岡崎の刑事弁護人は、この逃亡をどんな思いで見ているのであろうか?基地害や犯罪常習者の保釈申請は行わないという事も弁護士の良識ではないかと筆者は考える。

今年度の司法試験合格者は1502名 合格者らの食い扶持があるか心配です すでに法科大学院制度は事実上崩壊 司法予備試験経由者の優秀さが際立つ内容です

時事通信は10日付で「19年司法試験、1502人合格=受験者は7年で半減」として以下の記事を配信した。

 

法務省は10日、2019年の司法試験で1502人が合格したと発表した。

 前年比23人減で、現在の試験制度に完全移行した12年以降最少。受験者は4466人と、12年の8387人からほぼ半減した。合格率は前年比4.5ポイント増の33.6%で、初めて3割を超えた。

 法科大学院別の合格者数は慶大の152人がトップ。東大134人、京大126人、中央大109人と続いた。合格率では、京大が62.7%と最も高く、次いで一橋大59.8%、東大56.3%、慶大50.7%と続いた。

 法科大学院に通えない人を対象とした予備試験経由で受験した385人のうち、合格者は315人。合格率は81.8%と過去最高だった。

 合格者の平均年齢は28.9歳で、最高齢は65歳、最年少は20歳。女性の合格率は24.4%だった。 

 

引用以上

 

ただでさえ飽和状態の弁護士の需要の中で、毎年1500人程度の司法試験合格者を送り出せば、明らかに供給が需要を上回ること自体誰でもわかる事であろう。法テラスや公設事務所で若手弁護士を扶養してあげても、法テラスの報酬基準で仕事をすれば割に合わない事は明らかであり、法テラスの報酬基準などブラック企業と同じぐらいの搾取であると筆者は考えており、司法試験に合格し弁護士になったとしても、弁護士になるまでの投資に見合わない収入にしかならない事が分かるからこそ、優秀な人材が弁護士を志望しない事は確かであろう。

これだけ弁護士が増えて、着手金・報酬のダンピングや「無料相談」で客集めを行っている中で、若手弁護士が生きていくのが大変だからこそ、最近は即独・即非弁提携のような事案が増えるのであろう。

 

【参考リンク】

司法制度改革の結果としてなりふり構わず集客を行う弁護士が増加しました 「街角法律相談所」とそっくりのサイトも出現している事からも「非弁提携」の需要は高いのでしょう

 

組織的な交通事故処理の非弁提携 ポスト過払い金の非弁提携のトレンドは柔整業界からの「送り」

 

こんな状況の中で、司法試験に合格した者たちの食い扶持があるかが大いに心配である。

あまり事情を知らない国民は弁護士業界における「競争」が、欠陥弁護士を淘汰すると考えているようだが、悪貨は良貨を駆逐するものであり、結果的に過度の競争の結果の中で生き残るために過大な広告を大量出稿したり、着手金欲しさに「必ず勝訴する」とか必要以上に「闘う」姿勢をアピールする弁護士が増加するのである。

それにしても、法科大学院制度が完全に崩壊している事がよく理解できる。司法予備試験組の合格が最も多く、合格率も高い事を考えれば今後も法科大学院を志望する者はまずます減少するはずだ。

司法試験の受験者も引用記事のとおり7年間で半減したのであるから、上述のとおり弁護士になっても大して稼げるわけでもない事が明らかになり、弁護士として誠実に業務をしても経済的に恵まれることが少なくなってきたからこそ、志望者が激減したことは確かなのである。本当の意味での司法制度改革を行う必要がある事を政治も日弁連・各単位弁護士会も重く認識するべきなのである。

ヤジに敏感な器量の無い安倍ちゃん、ヤジなんぞ放っておいて、自分の演説で聴衆を黙らせればいいでしょ! 言論の自由とまでは言わないが、ヤジ位で排除するのはみっともないです

国会でもヤジなどは日常茶飯事であり、ヤジを言ったからといって排除される事など無いのである。ところが、狭量な安倍ちゃんに「忖度」を行ってなのかは分からないが、安倍ちゃんにヤジを飛ばした聴衆が「排除」される事態になったそうだ。以下に朝日新聞デジタルが16日付で配信した「ヤジの市民を道警が排除 安倍首相の街頭演説中」との記事を引用する。

 

15日に札幌市中央区であった安倍晋三首相の参院選の街頭演説の際、演説中にヤジを飛ばした市民を北海道警の警官が取り押さえ、演説現場から排除した。道警警備部は取材に対して「トラブル防止と、公職選挙法の『選挙の自由妨害』違反になるおそれがある事案について、警察官が声かけした」と説明。だが現場では、警察官は声かけすることなく市民を取り押さえていた。

 安倍首相はJR札幌駅前で同日午後4時40分ごろ、選挙カーに登壇。自民党公認候補の応援演説を始めた直後、道路を隔てて約20メートル離れた位置にいた聴衆の男性1人が「安倍やめろ、帰れ」などと連呼し始めた。これに対し、警備していた制服、私服の警官5、6人が男性を取り囲み、服や体をつかんで数十メートル後方へ移動させた。また年金問題にふれた首相に対して「増税反対」と叫んだ女性1人も、警官5、6人に取り囲まれ、腕をつかまれて後方へ移動させられた。いずれのヤジでも、演説が中断することはなかった。現場では、多くの報道陣が取材していた。

 公選法は「選挙の自由妨害」の一つとして「演説妨害」を挙げる。選挙の「演説妨害」について、1948年の最高裁判決は「聴衆がこれを聞き取ることを不可能または困難ならしめるような所為」としている。

 松宮孝明・立命館大法科大学院教授(刑法)は「判例上、演説妨害といえるのは、その場で暴れて注目を集めたり、街宣車で大音響を立てたりする行為で、雑踏のなかの誰かが肉声でヤジを飛ばす行為は含まれない」と話す。むしろ連れ去った警察官の行為について「刑法の特別公務員職権乱用罪にあたる可能性もある」と指摘。「警察の政治的中立を疑われても仕方がない」と話した。

 

引用以上

 

まぁカッコ悪いとしか言いようがない行為である。安倍ちゃんは、以前にヤジを飛ばした聴衆に対して「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と反論したりして、物議をかもしたりしたので、ナーバスになっているのかもしれないが、仮にも我が国の宰相がヤジごときを恐れていてはみっともない事この上ないだろう。

ヤジで「辞めろ」と騒がれたら「私に辞めろと叫んでいる方も、これからの私のお話を聞いて頂き、それでもご批判があるというのであれば、どうぞ『やめろ』と叫んでください。とりあえず私の演説の内容はご清聴ください」と言えば聴衆も安倍ちゃんの味方になってくれるはずである。

三木武吉の借金問答や妾問答のエピソードでも読んで少しは安倍ちゃんにも器量を付けてほしいところだがおそらく安倍ちゃんには無理かもしれない。そもそも安倍ちゃんは「吉田学校」もお読みでは無いと思われるので、戦後政治史など頭に入っていないだろう。

安倍ちゃんの爺さんの岸が60年安保の際に「自衛隊を治安出動させろ」と騒いだのと同じメンタリティーを安倍ちゃんは受け継いでいるのだろう。

ヤジごときで警察が実力行使するような世の中になる事は誰も望んでいないだろう。息苦しい世の中にしないためにも、この道警の「排除」に関しては良識ある弁護士らは声を上げて頂きたい。

21日は参院選である、安倍ちゃんの最後の演説をどこでやるかは知らないが、辞めろと騒がれたぐらいで、警察が実力行使する事など無いようにして欲しいものだ。安倍ちゃん自ら「言わせておけばいいですよ」というぐらいの器量を見せてやってほしい。

問われる保釈の運用 基本的に薬物と特殊詐欺の関係者には保釈を認めないほうが世の中でためになるはずです。

神奈川新聞は20日付で「逃走男、近隣に潜伏か 厚木市内で車発見 小中学校は自宅待機」として以下の記事を配信した。

 

窃盗などの罪で実刑が確定し、収監前に逃走した男(43)が乗っていた車が、神奈川県厚木市内で見つかったことが20日、県警への取材で分かった。県警は同市内に潜伏している可能性もあるとみて行方を追っている。

 車が発見されたのは、アパートなどが立ち並ぶ住宅街の一角。近くに住み、5人の子どもを持つ女性は「仕事は休んで子どもたちと過ごす」と心配そうな表情で話した。

一方、同市教育委員会と愛川町教委は同日、市と町の全小中学校について自宅待機を決定。教員や市、町職員らが学校周辺をパトロールしている。

また、隣接する平塚や海老名、伊勢原、秦野各市の小中学校は通常通り授業を行うとしているが、平塚市教委や海老名市教委は青色防犯パトロール車を走らせるなどして警戒しているほか、教職員らが通学路に立ち見守りを強化した。

県警によると、男は19日午後1時半ごろ、収監しようと訪れた横浜地検職員と厚木署員に刃物を振り回し、近くにあった車で逃走していた。

横浜地検によると、男は窃盗や傷害、覚せい剤取締法違反などの罪に問われ、昨年9月に横浜地裁小田原支部で懲役3年8月の実刑判決を受け、控訴。東京高裁は今年1月、控訴を棄却し2月に判決が確定した。控訴審中に保釈されており、検察側は書面で出頭を要請していたが応じず、自宅を複数回訪れたものの接触できていなかった。

 

引用以上

 

薬物中毒者や特殊詐欺関係者に対して、いくら正論を言っても聞くはずないし、法の運用を適切に行ってもまともに対応をするわけがないのである。最近は、薬物中毒は病気なのだから治療を行うことが重要であり、薬物犯罪者を批難することは不適切であるというような意見もあるが、違法薬物が社会にとって百害あって一利なしであることは論を俟たない事であり、そもそもいかなる理由があろうとも違法薬物に手を出す時点で「人間失格」であると筆者は考えている。人間だれでも、苦悩を抱え、時には絶望感を抱くときもあるのであるものだ。どんな境遇にあろうと違法薬物の使用を行うことの合理的な理由にはならないだろう。

騙されて違法薬物を投与されたり、注射されたりしたのであれば、それは罪に問う事ではないだろうが、自らの意思で違法薬物を使用した人間はきちんと法の裁きを受けさせるべきであろう。

特殊詐欺関係者は保釈をされれば、保釈条件で指定されている共犯者等との連絡の禁止もどこ吹く風で「トバシ」のスマホで「シグナル」などの通信アプリを使って「センパイ」の指示を元に犯罪行為の隠滅や犯罪収益の隠匿を行う事は100%確実であり、薬物犯罪者は保釈された当日に違法薬物を購入して、また逮捕という事例も少なくない。

特殊詐欺関係者は「カネの亡者」なので、「カネ」を得るためには何でもするし、カネの分け前を巡り人殺しも厭わない連中ばかりなので、法律遵守の精神など皆無なのであるから、一切保釈などする必要はないのである。

薬物常習者も同様で、違法薬物が自らの体を蝕む事や、発覚すれば逮捕されることがわかっていながらやめられないのであるから、拘束をされているほうが薬物依存の脱却のためにも有効だろう。留置施設や拘置所・更生施設で薬物依存の治療を行えるようにして、薬物犯罪者の保釈など認めないほうが、誰もが喜ぶのではないかと筆者は考えるが、いかがなものであろうか?

保釈は確かに権利であり、証拠隠滅や逃亡の虞が無い場合には保釈を行うべきであろうが、保釈の運用がゴーン事件以降大きく議論になっている事や、今回のように保釈中に逃亡を図るものが増加すれば、安易に保釈を認めるべきではないという意見も多くなるはずである。

何よりも保釈については、犯罪者の立場では無く、真面目に法に触れる事無く生活する一般国民の立場で議論されるべきであろう。犯罪者の権利よりも、犯罪などに関与しない者の権利が尊重されることは当然だと考えるのは当然だと筆者は考えている。

川崎市の児童らの殺傷事件 被害者らの親族関係者や学校関係者に対しては取材の配慮をおこなうべき また無用に「絆」とか「仲間」「友達」を賛美しない事が犯罪の抑止になるはず

28日に発生した、川崎市で児童らが無差別に襲われ2人が亡くなった事件は、凄惨としか言いようが無く、被害に遭われた人たちの関係者は本当に打ちひしがれている状態であろう。また、被害に遭った児童の登校する学校関係者や亡くなった男性の勤務先なども、哀しみに打ちひしがれている筈であり、報道機関は取材などを基本的に自粛するべきであろう。

このような事件が起きると犯人の生活状況や生い立ちについて注目が集まる事は致し方ない面もあるが、犯罪の動機は犯人が自死した以上は不明であり、今となって誰にも分からないことも事実だ。犯人の岩崎隆一が引きこもりであったとか、不幸な生い立ちであったとか煽り立てるような報道には筆者は感心しない。どんな状況下においても犯罪など起こさない人間も存在するし、どんなに恵まれた環境にあっても犯罪を行う者は平然と犯罪を行うのである。

こんな事件が起きると、犯人と似たような属性の人間を叩く傾向が強くなるのが最近の傾向である。まず脳みその足りないと思われるネット右翼が何でも犯罪と在日を結び付けて考えて、そのような妄想をまき散らした後に、「引きこもり」「孤独」「人間関係を構築できない」人間たちを一斉に叩きだし、「犯罪予備軍」と断じるのであるが、そんな単純な話ではないだろう。引きこもりにしても人それぞれで、芸術肌の引きこもりもいれば、攻撃的な引きこもりもいるのである。人間関係を構築できない事や、学校・地域・社会から孤立する事自体が悪であるかのような論調もあるが、人間など所詮1人であり、生まれるときも死ぬ時も1人なのであるから、無理して何かに所属する必要も無く人間関係などいらないと思う人間もいる事を理解したほうが、このような犯罪は抑止されると思うのである。

多くの友人・仲間に囲まれてこんなに幸せですというのは、ネット時代になりバカでもアホでも情報を発信ができる事態になって、人間関係を可視化して自己承認をおこなうSNSというツールの発達によるものが大きいと筆者は考えており、このような自己顕示ツールの拡大で、何を買った、どこに行った、何を喰ったという何の社会の役にも立たない情報がネット上に溢れるのである。

現在のネット時代は人間が「思索」を行わないようになった時代でもある。大宅壮一はテレビを「一億総白痴化」と断じたが、ネット時代は「一億総自己顕示化」という時代だろう。

こんな時代に乗れない、人付き合いの苦手な人間は疎外感を募らせ、社会や恵まれたように見える者らへの敵意を育み自暴自棄になっていくのであろう。誰だって心の中に狂気を持っており、そのような狂気や絶望と向き合い闘いながら生きているのであるが、「友人」や「仲間」に価値があると我が国の社会では思われているので、孤独な者はそんな「お友達真理教」に洗脳されて疎外感と強迫観念で頭が狂っていくのであろう。

今の時代は何かというと「仲間」「絆」という事を言う奴らが多いが、それは逆に言えば身内・仲間だけを大事にするという偏狭な意識である。安倍首相がモリカケに、レイプジャーナリストを庇ったりとかロクでもないことを行いながらも、それなりに支持率があるというのは仲間を忖度するという態度が、お仲間主義者から共感を受けている可能性もあるだろう。半グレ集団が犯罪仲間を「クン」付けで呼んでお仲間ごっこをしているのも、見苦しいメンタリティーであり、安倍とやっている事は変わらない。こいつらはカネで揉めれば、すぐに「さらう」とか「埋める」と騒ぐくせに、普段は仲良しごっこをしたがるクズなのである。

筆者からすれば偏狭な仲間意識よりも、全く見ず知らずの人間に対しての善意の行動や面識がないものに対する打算の無い行動のほうが余程崇高だと思うが、どんなもんだろうか。

教育関係者や法曹関係者は、つまらん同調圧力に屈することないよとか、お友達をたくさん作る必要はないですよと社会に啓蒙するべきだろう。いい年をした引きこもりには感心しない事は確かであるが、そいつらを批判しても何らの状況も変わらないのである。そんな連中を大量に生み出した我が国の教育をもう一度見直すことのほうが必須であるはずだ。

裁判員制度を翼賛する提灯記事への違和感 市民感覚を本当に刑事裁判に持ち込んでいいんですか?

裁判員裁判制度が10周年を、迎えたことでマスコミの多くは「市民感覚」が司法に導入されたとか、「調書重視」から「法廷重視」にかわったなどの論調を行っているが、筆者は大いに違和感を抱いている。

なぜなら、刑事裁判に「市民感覚」を反映されれば、犯罪被害者の報復感情を重視するべきであり、裁判員裁判に付されるような重大事件においては、被害者が厳罰を望むことは当然なのである。殺人事件などの被害者の親族からしたら、加害者の「死刑」を望むことは当然であり、市民感覚の導入という事であれば基本的には「厳罰化」という事になるはずなのである。

しかしながら、一審で重い量刑が課せられたとしても控訴審では、量刑が低くなることが多いことも事実である。一審では「市民感覚」を導入し、控訴審では導入しないというのは極めて不合理であろう。また「調書重視」が変わったとの論調もあるが、当たり前であるが今現在でも供述調書は最大の証拠である事には変わりない。法廷での攻防も完全黙秘事件ではない限り調書の内容(真実性)を巡ってになるのであるから、調書重視の姿勢が変わったとは筆者には到底思えないのである。

そんな実情であり、裁判員に招集された人の6割もの人が辞退をする裁判員制度が広く国民に受け入れられたという論調は大きな間違いであると筆者は考えるものだが、大マスコミなどはそうは考えないらしい。

刑事裁判に市民感覚を持ち込みたいのであれば、腐りきった「カネの亡者」らに、健全な市民感覚から厳罰を与えられるようにするべきであろう。現在も一向に減少する気配のない特殊詐欺を撲滅するには、そのような犯罪に厳罰を加えられるよう法改正し、厳罰を与えたうえに、犯罪収益を元に開業した事業などの全ての収益まで没収できるようにすべきなのである。

裁判員制度でなくとも健全な市民感覚を司法に反映させることは可能であり、立派な人ばかりが集まるシンポジウムとか討論会では無く、普段仕事に追われている人から意見をくみ上げる対策を取れば、本当の「市民感覚」の意見が分かると思われる。

多くの裁判官らには一般的な「市民感覚」は余りないと筆者は考えているが、それは「裁判所村」の常識に縛られている者が多いからである。生活に何の不安も無い裁判官らに犯罪者の気持ちを理解することはなかなか難しいであろうし、様々な犯罪の態様とか、犯罪の動機などについては法廷で分かる事もあるだろうが、本当の底辺の生活を送る者の心情など理解できないのも真実であろう。そんなことから、多くの裁判官らが身分を明かさずに簡易宿泊所に泊まったりコンビニでバイトしたりして「市民感覚」を養い判決に生かしたほうが、裁判員制度よりもよほど有益であろうと思うが、どんなもんですかね。

裁判員として裁判に参加するのは大企業勤務か無職の人にしか無理でしょう わが国にそぐわない陪審制度は廃止すべき それよりも民事訴訟制度の改革を

読売新聞の18日付の社説は「裁判員制度10年 辞退率の増加が気がかりだ」というもので、裁判員制度の導入時よりも辞退率が増加している事を指摘し、幅広い国民の視点を反映させるという裁判員制度の根幹が揺らぐのではないかと指摘する内容である。

 

【参考リンク】

読売新聞 社説 裁判員制度10年 辞退率の増加が気がかりだ

 

中小企業で働く人や非正規労働者や自営業の人は裁判員裁判になど参加したくはないだろう。裁判員裁判に出席するよりも、仕事をすることのほうが大事であるからだ。「裁判員裁判に出席するので明日は休みです」と取引先や同僚に話をして、理解を得られるのは大企業だけであろう。

また、すでに仕事をしていない高齢者やニートなどは暇だから裁判員裁判に出席することは何らの問題も無い。そんなことから読売社説が心配する通り、幅広い国民の視点を反映させることなどが困難になる事は明らかだ。

しかしながら、そもそも裁判というものは法に照らして法に則り行われるものであり、「幅広い国民の視点」など必要としていないのである。裁判に世論を反映させれば、韓国の司法界のようになるだろう。

裁判員制度推進者らは我が国にも大正陪審があり、我が国に陪審制度がそぐわないという事など無いと述べるが、大正陪審の陪審員はある程度の納税を行っている30歳以上の男子というのが前提条件であり、そうなると陪審員は当時のエリートや名士であり、しかも法廷は「天皇の法廷」であったわけだから、現在の裁判員制度とは異なるし、「天皇の法廷」に出席する陪審員の意識も現代とは全く異なるものだったはずである。

そもそも我が国には陪審制度はそぐわない事は明らかである。幼少時から「法」の存在を意識するアメリカなどとは異なり、「人治」が基本の我が国には合わないし、本気で裁判員制度を導入するのであれば、労働環境を大幅に改善することが必要である事と、働くもの誰もが適正に休暇を取れるようにするべきであろう。

裁判員制度よりも、必要なのは民事裁判や民事執行についての改革であろう。時間ばかりかかり勝訴判決を得ても執行が困難な我が国の司法制度では民事裁判を利用することに躊躇してとうぜんであろう。だから訴訟の新受件数が漸減しているのである。執行制度がもっと実効性を持てば、弁護士の懐具合も今よりは良くなるはずだ。そんな意味からも、真の意味の司法制度改革が必要なのであり、すでに崩壊している法科大学院制度も見直しすべきであり、弁護士自治の見直しも行うべきであると筆者は考えている。

令和の御代になろうと、人間の本質が変わる事はありません 「奉祝」よりも「天皇制」というものを深く理解することが必要なはずです

5月1日に改元がなされてから、世の中は奉祝ムードで、マスコミも今上陛下の過去のこぼれ話などを取り上げたりして、今上陛下を持ち上げることばかりを行っている。

しかしよく考えて欲しい、天皇制というのは皇族の人権を制限することで成り立っている制度であり、今上陛下を始めとした皇族方には様々な束縛が存在し、また日本国民の権利である、選挙権・被選挙権も有しないのである。「象徴」という立場から、ご自身の意見を述べる事にも慎重になられることも事実であり、同じ人間でありながら、多くの自由を制約されている中で、伝統を守るための儀式などをとり行っているのである。

今、馬鹿みたいに「奉祝」しているような連中は「天皇制」や「天皇の歴史」に思いを馳せたことがあるのであろうか?また、現在の日本国憲法下での「象徴」としての天皇制による、皇族らが基本的人権が付与されていないことについて何か考えた事があるのか聞いてみたいものである。

また、天皇制に反対すべき勢力もだらしがない奴らばかりである。即位の例が行われた5月1日にはメーデーである。天皇制反対の労組や極左暴力集団らは、何らの不穏な行動をしなかったようだが、自分たちに信念があるのであれば、今上陛下や皇族らに対して「汝の部署を放棄せよ!汝の価値に目醒むべし!」と赤旗を振りかざして二重橋に突撃すべきだったはずであると筆者は考えるが、そんな事を行った連中はいなかった模様だ。

天皇制が曲がりながらも古代から現代まで連綿と維持されてきたのは、キリスト教社会における「教皇」やイスラム世界における「カリフ」などと同様の宗教的な「権威」により、我が国の時の権力者らの正当性を担保するためであると思われる。また一時期には仏門に入る皇族らが多数存在したことや、神仏習合の中で天皇家と関係の深い八幡神の出家の伝承や、僧形八幡神像などが多数残されている事などからも、国家として天皇(神道)の宗教性よりも、仏教が重視されていた時代もあったことも理解できる。そういうことからも天皇の「権威」「宗教」というのはいかなるものかを再度全ての国民が考える必要があると思われる。

改元がなされようが何が起きようが人間の本質が変わるわけもなく、人間の生活など変わる事がない事ぐらい誰でも理解できることである。そのうえで、天皇制というものが如何なるものであるのか、またなぜ現在も必要とされるのかを国民一人一人が考え、「改元」の意味を考えるべきなのである。

日弁連は、大逆事件の刑死者らのための、市ヶ谷刑務所刑場跡慰霊塔を建立したりしているが、皇族らの人権についても考察を行うべき事も行うべきだろう。

改元に当たって 「拝金主義」の蔓延と、孤独に耐えられない人間の増加が止まらない限り今後も我が国に明るい展望はない事は確かです

いよいよ平成の御代の終わりも近づき、新たな「令和」の時代が目前に迫ってきた。

新紙幣の各肖像も決まり、1万円が渋沢栄一で5千円が津田梅子、千円が北里柴三郎という事であるが、筆者であれば1万円はサングラスをかけた澁澤龍彦にして、5千円を女性とするのであれば金子文子とか日野富子にして、千円を医学関係者とするならシーボルトとか華岡青洲にすれば気が利いていると思うのだが、無知無教養の安倍首相には何のことだかサッパリ分からないだろうと思われる。

平成の時代で一番大きく社会が変化したのは、携帯電話という究極的に人間を管理・束縛するツールが普及したことであろう。昭和の時代の会社員は、自分の裁量で営業先を回ったり、仕事の配分をできたのは人に首輪をつけるような携帯電話がなかったからであろう。植木等が演じたスチャラカ会社員も携帯電話が存在しなかったからこそである。

携帯電話はスマートフォンに進化し、一対一の通話・メールから、ラインなどのグループによる情報共有という極めて厄介な通信手段になり、結果的に働くものはさらに束縛され、人間関係の可視化が進み、子供などにとってはいじめのツールに発展したのであるが、こんなものが人間を幸せにするわけがない事は確かであろう。

携帯電話などは確かに便利であるが、相手の都合に構いなく連絡が24時間可能になる事が果たして良いことであるかをよく考えるべきであり、ラインのようなツールは犯罪助長のインフラでしかなく、社会の害悪でしかないと筆者は考えている。

SNSは単に自己顕示欲を満たすツールとして発展しMIXYやFACEBOOKで「俺はこんなにお友達が多く充実した人生を送っていますよ」という情報をひたすら垂れ流し、何を喰ったとか何を買ったとかを仲間内で自慢するツールであり、何の役に立つのかさっぱりわからないが、犯罪捜査などでは人間関係を特定するには有益なツールのようである。どこに行っても老若男女問わずイヤホンを付けてスマホをいじっている人間ばかりであるが、一日中音楽を聴いていれば耳も悪くなるだろうし、例えば自然の中を移動しているときは風の音や自然の声に耳を澄ますべきであると思うのであるが、車道の真ん中をロードバイクで走って右折レーンに自転車で入ってくる奴ほどイヤホン付けて自転車を転がしている奴が多いのである。

筆者は何度も述べているように「カネの亡者」が大嫌いである。カネでしか自己顕示をできないバカ者どもなど生きる価値はゼロであると思われるし、カネのためには平然と犯罪を犯す特殊詐欺師などは特に大嫌いである。最近は、特殊詐欺師がビジネスマン面して流行りのスーツに身を固めアタッシュケースを抱えて隠語を使いスタバで糞まずいコーヒーを飲んで打ち合わせに勤しんでいる事が多いようだ。どこの出身であろうと根性が根っからの田舎者なので流行りものに弱くカネで自己顕示をするために浪費を繰り返し、バカ女にカッコをつけるのであろう。こんなクズは全員銃殺で構わないと思われるし、一人で行動できず絶えず「センパイ」とか「コウハイ」とつるんで、行動するような馬鹿共も社会の害でしかないだろう。群れてしか行動できない人間は会社員であろうと犯罪者であろうと見苦しいだけである。昭和の時代には一匹狼の詐欺師や事件屋も多かったが、最近はみなさん「センパイ」「コウハイ」という中学生のままの気分のバカ者たちばかりである。

弁護士の質も確実に落ち、「誇り」「気概」を持つものが少なくなった。だからこそ犯罪集団に「飼われる」弁護士が増加したのである。過払い金返還請求がヤミ金や特殊詐欺師のような反社会的勢力が弁護士業界に流入するきっかけになったのであるが、過払い金返還請求は実務能力に関係なくできる仕事であり尚かつ儲かったことから、多くの無能弁護士が増殖するきっかけにもなったのである。

法科大学院制度は機能せず、実質的に司法制度改革は大失敗したことが明らかになり、法曹志望者は激減し、今後の法曹界の行方も定かではない。果たして令和の世がいかなる御代になるかは予想もできないが、弁護士自治を見直すことが必要な時代になる事は間違いないだろう。

筆者は令和の御代においても、今まで通り「カネの亡者」と「欠陥弁護士」を論い、当サイトを地道に更新していくつもりである。そして弁護士自治についての考察も続けていく所存だ。何度も同じような事を繰り返し述べていくと思いますが、「また同じことを言っている」と思われても、今更性格は変わらないと思うので、ご容赦のほどお願い申し上げます。