改元に当たって 「拝金主義」の蔓延と、孤独に耐えられない人間の増加が止まらない限り今後も我が国に明るい展望はない事は確かです

いよいよ平成の御代の終わりも近づき、新たな「令和」の時代が目前に迫ってきた。

新紙幣の各肖像も決まり、1万円が渋沢栄一で5千円が津田梅子、千円が北里柴三郎という事であるが、筆者であれば1万円はサングラスをかけた澁澤龍彦にして、5千円を女性とするのであれば金子文子とか日野富子にして、千円を医学関係者とするならシーボルトとか華岡青洲にすれば気が利いていると思うのだが、無知無教養の安倍首相には何のことだかサッパリ分からないだろうと思われる。

平成の時代で一番大きく社会が変化したのは、携帯電話という究極的に人間を管理・束縛するツールが普及したことであろう。昭和の時代の会社員は、自分の裁量で営業先を回ったり、仕事の配分をできたのは人に首輪をつけるような携帯電話がなかったからであろう。植木等が演じたスチャラカ会社員も携帯電話が存在しなかったからこそである。

携帯電話はスマートフォンに進化し、一対一の通話・メールから、ラインなどのグループによる情報共有という極めて厄介な通信手段になり、結果的に働くものはさらに束縛され、人間関係の可視化が進み、子供などにとってはいじめのツールに発展したのであるが、こんなものが人間を幸せにするわけがない事は確かであろう。

携帯電話などは確かに便利であるが、相手の都合に構いなく連絡が24時間可能になる事が果たして良いことであるかをよく考えるべきであり、ラインのようなツールは犯罪助長のインフラでしかなく、社会の害悪でしかないと筆者は考えている。

SNSは単に自己顕示欲を満たすツールとして発展しMIXYやFACEBOOKで「俺はこんなにお友達が多く充実した人生を送っていますよ」という情報をひたすら垂れ流し、何を喰ったとか何を買ったとかを仲間内で自慢するツールであり、何の役に立つのかさっぱりわからないが、犯罪捜査などでは人間関係を特定するには有益なツールのようである。どこに行っても老若男女問わずイヤホンを付けてスマホをいじっている人間ばかりであるが、一日中音楽を聴いていれば耳も悪くなるだろうし、例えば自然の中を移動しているときは風の音や自然の声に耳を澄ますべきであると思うのであるが、車道の真ん中をロードバイクで走って右折レーンに自転車で入ってくる奴ほどイヤホン付けて自転車を転がしている奴が多いのである。

筆者は何度も述べているように「カネの亡者」が大嫌いである。カネでしか自己顕示をできないバカ者どもなど生きる価値はゼロであると思われるし、カネのためには平然と犯罪を犯す特殊詐欺師などは特に大嫌いである。最近は、特殊詐欺師がビジネスマン面して流行りのスーツに身を固めアタッシュケースを抱えて隠語を使いスタバで糞まずいコーヒーを飲んで打ち合わせに勤しんでいる事が多いようだ。どこの出身であろうと根性が根っからの田舎者なので流行りものに弱くカネで自己顕示をするために浪費を繰り返し、バカ女にカッコをつけるのであろう。こんなクズは全員銃殺で構わないと思われるし、一人で行動できず絶えず「センパイ」とか「コウハイ」とつるんで、行動するような馬鹿共も社会の害でしかないだろう。群れてしか行動できない人間は会社員であろうと犯罪者であろうと見苦しいだけである。昭和の時代には一匹狼の詐欺師や事件屋も多かったが、最近はみなさん「センパイ」「コウハイ」という中学生のままの気分のバカ者たちばかりである。

弁護士の質も確実に落ち、「誇り」「気概」を持つものが少なくなった。だからこそ犯罪集団に「飼われる」弁護士が増加したのである。過払い金返還請求がヤミ金や特殊詐欺師のような反社会的勢力が弁護士業界に流入するきっかけになったのであるが、過払い金返還請求は実務能力に関係なくできる仕事であり尚かつ儲かったことから、多くの無能弁護士が増殖するきっかけにもなったのである。

法科大学院制度は機能せず、実質的に司法制度改革は大失敗したことが明らかになり、法曹志望者は激減し、今後の法曹界の行方も定かではない。果たして令和の世がいかなる御代になるかは予想もできないが、弁護士自治を見直すことが必要な時代になる事は間違いないだろう。

筆者は令和の御代においても、今まで通り「カネの亡者」と「欠陥弁護士」を論い、当サイトを地道に更新していくつもりである。そして弁護士自治についての考察も続けていく所存だ。何度も同じような事を繰り返し述べていくと思いますが、「また同じことを言っている」と思われても、今更性格は変わらないと思うので、ご容赦のほどお願い申し上げます。

当サイトと同名のサイトにこちらは関係ありません 非弁業界の内部告発は大いに歓迎しますが違った名前でやってほしいです

読者の方から当サイトと同名のサイトがあるとのご指摘があった。

 

【同名のサイト】

 https://鎌倉九郎.com/

 

上記のサイトは筆者は全く関与してない事をお知らせしておきます。このサイトの紹介を見ると

 

 鎌倉九郎のブログ。補足情報サイト。過払い金・残業代請求詐欺を悪用した組織犯罪・詐欺集団の非弁提携法律事務所の元従業員・関係者・被害者からの匿名通報お待ちしております。独自に寄せられた情報を公式サイトとは別の視点で掲載。

 

との記載があるので、当サイトを「公式サイト」としている事は分かるのであるが、本年3月31日付の記事で鎌倉九郎とは? として、このサイトの運営者が月刊誌弁護士ドットコムの取材に応えた事が述べられ、kurou kamakura.と記載があるので、「補足サイト」から「本家」になったとも読み取れるので、同サイトが当方と関係がない事をお知らせする次第だ。

この補足情報サイトによる非弁業界の内幕暴露自体には大きな意味があり、エイワの本田高英を糾弾する事や、本田関連の非弁事務所を暴露する事も大いに結構であると筆者は思うのであるが、あまり紛らわしいことはしないほうが良いと思われるので、このサイトのウェブフォームを使って、サイト名を改題して頂きたい旨のご連絡を行ったが、今のところ回答が無いので本稿を掲載することにした。

まぁ、同サイトの運営者にユーモアがあれば「蒲冠者範頼」とか「源三位頼政」などと名乗って頂き、大いに非弁屋たちを叩いて頂きたい。

松橋事件の再審で無罪判決 捜査機関は自白偏重の捜査手法や不適切な捜査を見直すべき

 

西日本新聞は28日付で『「自白に矛盾」松橋事件、再審で無罪判決 熊本地裁』として、以下の記事を配信した。

 

熊本県松橋(まつばせ)町(現宇城市)で1985年に男性が殺害された松橋事件の再審で熊本地裁は28日、殺人罪などで服役した宮田浩喜さん(85)に、同罪について無罪判決を言い渡した。地裁は有罪の根拠となった自白調書などを証拠採用しておらず、溝国禎久裁判長は「被告が犯人だと示す証拠はなく、殺害は認められない」と述べた。弁護側は判決後、熊本地検に上訴権を放棄するよう申し入れた。

 認知症を患い、ほぼ寝たきりの状態にある宮田さんは初公判に続いて出廷できなかった。

  再審公判で自白調書などを採用しなかった点については「数年にわたる審理での弁護側の詳細な主張を踏まえ、再審開始決定で自白の信用性が否定された」と説明。再審公判で検察側が新たな有罪立証をしないと表明していたことや、有罪判決から長い年月が経過していることも挙げて「再審請求審の判断と異なる結論は想定し得ない。可能な限り速やかに判決を言い渡すことが適当であると考えた」と述べた。

  一方、85年に自宅で拳銃を所持したとする銃刀法違反罪などについては懲役1年を言い渡したが、宮田さんが改めて服役することはない。

  捜査段階で宮田さんは「布を小刀の柄に巻き付けて刺し、布は燃やした」と自供していたが、再審請求を準備していた弁護団が検察が開示した証拠から燃やされたはずの布を発見。再審請求審で新証拠として提出した。これらを踏まえ、2016年に熊本地裁は「重要部分に客観的事実との矛盾が存在する疑義があり、自白の信用性が揺らいだ」として再審開始を決定。最高裁で確定した。

  その後の検察側や弁護側との協議で、地裁は宮田さんの体調を考慮し「迅速に審理を終わらせたい」と表明。今年2月の初公判では「再審請求審までの経緯を踏まえると取り調べる必要がない」として、自白調書や凶器とされた小刀などを証拠採用せず、即日結審させた。検察側も有罪立証しなかった。

 

引用以上

 

無罪判決を受けたとしても、宮田さんの人生が戻るわけでは無い。捜査機関の「思い込み」は一人の人生を台無しにしてしまうのである。自白偏重の捜査手法は、改善されるべきであり、実質的な脅しなどを交えた、不適切な捜査手法や「家族に迷惑が掛かるぞ」とか「自白すれば保釈の可能性がある」などというような内容を捜査員が述べる事が、現在も行われている事は事実であり、そのような捜査手法が冤罪を生み出すことを捜査機関は自覚するべきであろう。

松橋事件の弁護団が長年にわたる真摯な立証作業により、供述調書の真実性を覆した事には敬意を表したい。このような、誠実な業務を行う弁護士らは大いに称賛されるべきである。

不適切な捜査といって頭に思い浮かぶのは、何らかの民事的な係争を「口利き」により刑事事件化し解決をしようとする「三崎」のような、事件屋であろう。暴排センターから警察に下りてきた事件を自分の口利きのように吹聴する「三崎」のような事件屋は国家を愚弄しているともいえるのであるから、捜査関係者はこんな連中の情報などを真に受けてはいけないし、相手にしてもいけないのである。

話はそれたが、捜査機関は誠実に「真実」を追求するべきであり、また弁護士も犯罪者らの「口裏合わせ」などに狂奔せず、「真実」をもって弁護活動を行うべきなのである。

家庭裁判所における、離婚調停中の妻を刺殺した事件。男女問題を裁判所で完全に解決することはできない自覚を国民はもつべき

産経新聞は20日付で「東京家裁で離婚調停中の妻刺され死亡 殺人未遂容疑で米国籍の男を現行犯逮捕」として以下の記事を配信した。

 

20日午後3時20分ごろ、東京都千代田区霞が関の東京家裁で、「玄関で女性が刺された」と110番通報があった。警視庁によると、埼玉県所沢市元町の職業不詳、ウィルソン香子(きょうこ)さん(31)が首を刃物で刺され、搬送先の病院で死亡が確認された。同庁は殺人未遂容疑で、香子さんの夫で、離婚調停中の都内に住む米国籍の男(32)を現行犯逮捕。容疑を殺人に切り替えて調べる。

 同庁によると、男は事件後に逃走し、約5分後に約400メートル先の日比谷公園内で警備員と警察官らが取り押さえた。男は折りたたみ式ナイフで自分の両手首を切るなどしており、病院に搬送された。同庁は男の回復を待って事情を聴く。

 香子さんは昨年8月ごろ、「別居中の夫が精神的に不安定だ」などと同庁に相談していた。同日の離婚調停は、香子さんと両者の代理人弁護士による協議が予定されており、男は手荷物検査を通る前の玄関付近で香子さんを待ち伏せしていたとみられる。

 身柄確保時には服のポケットなどに刃物3本を所持。持っていたリュックサックにはガソリンのような液体が入ったペットボトルが数本入っていた。

 

引用以上

 

裁判所の金属探知機の前で、被害者を待ち伏せしていたということなので、加害者は強い殺意を持っていたと思われ、犯行は計画的であったと思われる。

報道によれば、当事者らはそれぞれ代理人弁護士が就いており、家裁で協議を行う予定であったとの事であるが、加害者の代理人弁護士は、この加害者が被害者に強い害意を持っている事に気付かなかったのであろうか?

離婚問題などは、家庭裁判所で法律的な問題は決着をつけるしかない事も事実であるが、男女の間の問題を全て裁判所で解決することは不可能であることを、国民は自覚しておくべきであろう。財産分与に離婚手続きまでは解決できても、感情問題を解決することは不可能であり、調停・裁判の結果により、さらに問題が発生することも事実だからである。

「離婚」をネタに客集めに励む弁護士も多いが、離婚問題を安易に考えていれば、当事者同士のこのような事件の発生や、弁護士自身も危害を加えられる可能性がある事を自覚しておく必要があるのだ。

離婚を取り扱う弁護士は、このような事件を依頼者が起こさぬよう適切に指導を依頼者に行うべきであり、相手に危害を加えるような言動や行動を行う依頼者については、捜査機関に連絡ぐらいしておくべきだろう。

裁判官の品位を貶めているのは、岡口基一裁判官ではなく傲慢な世間知らずの「お利口」な裁判官らのはずです

産経新聞は4日付で「ツイッター判事を聴取 国会訴追委」として以下の記事を配信した。

 

 国会の裁判官訴追委員会は4日、ツイッターの投稿をめぐり最高裁から戒告処分を受けた東京高裁の岡口基一判事(53)を事情聴取した。聴取内容を踏まえ、罷免の是非を判断する国会の裁判官弾劾裁判所に訴追するかを決める。

 終了後に取材に応じた訴追委委員長の田村憲久衆院議員によると、東京都江戸川区で女子高生が殺害された事件についての平成29年12月の投稿と、犬の返還をめぐる訴訟についての昨年5月の投稿に関して聴取し、事実関係や岡口氏の考えを確認。「相当な期間、慎重な検討をして(聴取を)実施する必要があると認めた」といい、今後、必要に応じて再聴取の可能性もあるとした。

 一方、岡口氏は弁護士2人と出頭し、「投稿は問題性のあるものではなく、表現の自由の一環として保護されるべきだ」などとする意見書を提出した。

 訴追委は衆参各10人の国会議員で構成され、衆参各7人以上が出席し、3分の2が賛成すれば訴追する。

 岡口氏は26~28年、裸の上半身を縄で縛られた男性の画像などを投稿し、高裁から口頭で厳重注意を受け、女子高生殺害事件の投稿についても昨年3月に高裁から厳重注意を受けた。犬の返還をめぐる訴訟についての投稿が裁判当事者の感情を傷つけたとして高裁が処分を申し立てた。

 最高裁は分限裁判で「裁判官の品位を辱める行為」に当たると判断、同年10月に戒告とする決定を出した。

 

引用以上

 

まぁ暇なのか、たまには裁判官訴追委員会を構成するべきと考えたのか、本当にくだらない内容である。

裁判官が世間に向けて情報発信をするなというのであれば、ツイッター・SNSにとどまらず、法律書などを著述することなども禁止するべきであろう。なぜなら現役裁判官の書いた判例解説や、法令解釈は多くの国民に裁判についての予断を与えることは確実であり、その判例に記載された当事者らは例え匿名であったとしても「傷つく」事は確実であるからである。そういう観点からいえば、判例集などの編纂も、多くの人を「傷つける」事になるだろう。

岡口裁判官のツイッター投稿による分限裁判によって戒告処分を受けた際に、筆者は「傷ついた」といえば通ってしまう恐ろしい世界として以下の記事を掲載したが、

 

【参考リンク】

「傷ついた」と苦情を言えば通ってしまう恐ろしい社会 岡口裁判官に分限裁判で戒告処分

 

裁判というのは当事者らの感情で判断されるものではなく、何らかの訴訟の判断が岡口裁判官のツイッター投稿などで左右されるわけでもないのであるから、特に問題にするべき事案では無いはずなのである。

法律の専門家である、岡口裁判官が様々なツイートを繰り返すのは何らかの信念があるのであろう。筆者も、上半身裸の男性の緊縛写真などは見たくもないが、今どきの性差別を無くせという世間のご意見からすれば、そんな事を問題にすることが問題であるという見方もできるだろう。

岡口裁判官が裁判官弾劾裁判所に訴追されるような事があれば、憲法の改正が必要であり、憲法で保障された「表現の自由」は裁判官に適用が除外されることを明記しなければならないはずだ。

岡口裁判官より問題なのは、要件事実をきちんと把握せずに、自分の心証を重視して判決を下したり、無茶苦茶な和解案を押し付けようとする世間知らずの「お利口」な裁判官たちであろう。そんな裁判官らこそ「品位」に欠けると思うのは筆者だけでは無いはずだ。

岡口裁判官には徹底的に闘って頂き、最終的には岡口裁判官を「戒告」処分に付した最高裁判所がいかに「品位」に欠ける組織であるのかを明らかにして欲しい。

芸術とは社会常識を逸脱するものです 会田誠の講義がセクハラならバルテュスやベルメールは犯罪でしょう

弁護士ドットコムニュースは2月27日付で「「会田誠さんらの講義で苦痛受けた」女性受講生が「セクハラ」で京都造形大を提訴」として以下の記事を配信した。

 

京都造形芸術大の東京キャンパスで公開講座を受けたところ、ゲスト講師から環境型セクハラにあって、精神的苦痛を受けたとして、受講していた女性が、大学を運営する学校法人「瓜生山学園」を相手取り、慰謝料など計約333万円の支払いをもとめる訴訟を東京地裁に起こした。提訴は2月22日付。

原告の大原直美さん(39)と代理人が2月27日、東京・霞が関の司法記者クラブで会見を開いた。大原さんは「講義内容が本当にひどいものだった」「セクハラを訴えたあとも、大学側の対応が、教育者としてあるまじき姿だった」「生徒を守ってくれないのは本当に残念だ」と心境を語った。

  • 会田誠さんの講義でショックを受けた。

代理人などによると、大原さんは2018年4月から6月にかけて、京都造形大・東京藝術学舎で開かれた社会人向け公開講座(全5回)を受講した。ヌードを通して、芸術作品の見方を身につけるという内容だった。大原さんは、第3回(2018年5月15日)のゲスト講師だった芸術家の会田誠さんの講義でショックを受けた。

講義は、涙を流した少女がレイプされた絵や、全裸の女性が排泄している絵、四肢を切断された女性が犬の格好をしている絵などをスクリーンに映し出すという内容で、会田さんはさらに「デッサンに来たモデルをズリネタにした」と笑いをとるなど、下ネタを話しつづけていたという。

大原さんは、会田さんのキャラクターや作風を知らなかったという。すぐに、大学のハラスメント窓口に苦情を申し立てたが、第5回(同年6月12日)のゲスト講師で、写真家の鷹野隆大さんの講義でも、勃起した男性の写真の投影などがあった。「講義を受けに来ただけなのに、どうしてこんな目に合うの?」

大原さんは、動悸や吐き気、不眠の症状がつづき、急性ストレス障害の診断を受けた。

  • 「作家の作品の是非ではなく、環境を作り出したことが問題だ」

大学側は同年7月、環境型セクハラについて、対策が不十分だったと認める内容の調査報告書をまとめたという。ところが、そのあとの話し合いで、示談にあたって、お互い関わり合いを持つことをやめる、という項目の要望があり、交渉が決裂。大原さんは同大通信教育部を卒業して、他の大学やカルチャースクールで美術モデルの仕事をしている。

 

代理人の宮腰直子弁護士は「大学は、セクハラ禁止のガイドラインをもうけており、公開講座を運営するにあたっても、セクハラ対策をすべきだった。作家の作品の是非や、セクハラ言動そのものでなく、そうした環境を作り出したことに問題があった」と述べた。講座の運営方法や告知の仕方、その後の対応について責任を追及していくとしている。

大学側は、弁護士ドットコムニュースに対して「訴状が届いていないので、コメントできない」とした。

 

引用以上

 

芸術が社会や常識に迎合する必要は全くないと筆者は考える。京都造形芸術大学を訴えた原告と弁護士は「芸術」は社会的な常識の枠内に存在するべきとかんがえているのであろうか?そう考えているのであれば、我が国の春画や、陰陽石などの民俗文化財もわいせつであろうし、バルテュスの「夢見るテレーズ」やベルメールの人形など児童ポルノにしか見えない筈だ。

澁澤龍彦は芸術とポルノグラフィーの境界線を「裸婦の中の裸婦」(巌谷國士と共著)の中で

どんな芸術的な裸体画にだって、ポルノグラフィーと変わらぬ催淫性の効果はあるんだよ。ただ芸術作品とポルノグラフィーとの違いは、前者が催淫効果だけにとどまってはいないということさ。

と述べており、筆者もこの見解に全面的に賛同する。そして生とは即ち性であり、性を否定して生は無いわけである。芸術を社会に迎合させればナチスの「退廃芸術展」や我が国でも先の大戦中に中原淳一が迫害されたような事と同様のことになるだけであろう。

芸術の公開講座なのであるから、不快ならトットと帰ればいいような気もするのであるが、何らかの事情もあるのかもしれない。しかし、芸術を評価するのは個人の感性でしかなく筆者のように会田誠の作品にセンス・オブ・ワンダーを感じる人間もいれば、この訴訟の原告のように不快感を感じる人間もいるのが芸術というものであり、少なくとも訴訟代理人は芸術の価値が社会常識と相反することを理解するべきなのである。潔癖主義からしたらナボコフの「ロリータ」などもトンデモないお話なのかもしれないし、丸尾末広の漫画なども言語道断なんだろうと思う。しかしながら、同性愛者を差別するなという昨今の論調からすれば稲垣足穂の「少年愛の美学」は非難される対象ではないという事になるのであろうか?

筆者の個人的な見解からすれば、「ヌードを通して、芸術作品の見方を身につける」という講義に参加するような人物であれば、ジョルジョ・バタイユの「エロティシズム」や同題名のロベール・デスノスの著作ぐらい読んでおくべきであり、ヘルムート・ニュートンの写真集も見ておくべきであろう。決して権威主義というわけではなく、どんな世界にも「基礎」というものがあり、その「基礎」を理解したうえで初めて実相が見えるというのはどんな世界でも同様である。会田誠の芸術論がセクハラであり、それを防止なしない大学に公開講座に対する何らかの善管注意義務があるというのは、芸術を理解しないものの戯言に過ぎないと筆者は考える。本気でこのような訴訟を起こすのであれば、チャタレイ裁判や悪徳の栄えのサド訴訟を研究したうえで起こすべきであろう。芸術とわいせつは、しかめっつらしい常識人にはいつでも大きな問題なのであろうが、「私たちは糞と尿のあいだから生まれるのだ」とうアウグスティヌスの言葉を理解するのべきなのだ。

会田誠氏と京都造形芸術大学には、三島由紀夫が澁澤龍彦のサド裁判の際に手紙で澁澤に送ったという以下の文言をささげたい。

「今度の事件の結果、もし貴下が前科者におなりになれば、小生は前科者の友人を持つわけで、これ以上の光栄はありません」

何も恐れることは無く京都造形芸術大学は芸術の反社会性と、芸術に関する講義がアカデミックであればあるほど、人間の本質である性に収斂されることをしっかりと主張し、受講者に退席が許されないわけでもない中での「環境セクハラ」など「笑止」であるとしっかりと主張して欲しい。

常識と道徳と法律 小室圭氏を巡る問題について

アメリカで弁護士を目指す小室圭氏が奥野総合法律事務所で事務員をしていた事は事実である。通常法律事務所で勤務している中で、アメリカで法曹資格を取得するという場合は弁護士である事が大前提であろう。一事務員である小室氏がアメリカにおいてだけ法曹資格を取る理由というのは、大体の人には理解できないだろう。奥野先生も、小室氏がアメリカで法曹資格を取得後、事務所で雇う意思があるのであろうか、気になるところである。

やんごとなき姫君と、婚約までした小室氏は当初「好青年」という印象であったのであるが、すっかり現在は悪役になってしまったようである。

そもそも、小室氏の母が元婚約者から小室氏の学費を捻出してもらっていたそうで、その学費について「返す」「返さない」という問題であるそうであるが、法律的には小室氏の母が債務不存在確認訴訟を元婚約者に提起すれば良いと思うのであるが、そんな事をすれば「忘恩の輩」と批判を受ける事を恐れ、「解決」に向けて、この金銭問題の訴訟当事者になるとは思われない小室氏が代理人弁護士を雇い「解決の意思」を公表したのであろう。

もし、小室氏の母が上述のように債務不存在確認訴訟を提起し仮に勝訴をしたとしても多くの国民は問題の解決と思わないだろうし、幾ばくかの「解決金」を支払い元婚約者と和解をしたとしても、国民は小室氏と姫君の結婚を手放しで祝福しないだろう。

そもそも、なんで国内で法科大学院にも行かずに、司法予備試験も受験しなかった小室氏が国際弁護士を目指すのか分からないが、法曹を目指す小室氏であるからこそ、法に適っていても常識や道徳に適わない問題などの解決方法を勉強するべきなのである。

しかしながら、若い小室氏を過度に叩く風潮にはあまり感心しないが、「皇室利用」と思われるような行為にも感心しない。

小室氏と姫君は、愛に殉じる意思がおありであれば、皇室関係者の懸念や・国民の感情など気にせずに、「両性の合意」だけを元に結婚して、駆け落ちでもすれば良いのである。末永く文学的な題材にもなると思われるし、マスコミは手のひらを返して「悲恋」とか「純愛」とお二人を持ち上げる事は間違いないだろう。そうしたら下賜金などあてにせずに取材対応の謝礼や、恋から逃避行までの経緯などを書籍化すれば印税も入るし必ず映画化もされるであろうから、今後の生活には困る事は無いはずである。