「やられたらやり返す」人たちは、そういうことを一生やっていくんですかね?絶対正義が自分にあるというお考えをお持ちの人とは関わらないのが一番です。最近は法律を「仕返し」の道具としか思っていない人たちを拒絶できない弁護士が増えたという事でしょう。

無理筋な内容とか、費用対効果が到底あるとは思えないような訴訟提起については、基本的には弁護士が相談を受けた時点で受任を拒絶するべきであろうと思う。「やってみないと分からない」「判断は裁判所にしてもらう」という感覚で、訴訟提起の委任を受けることはマトモに業務を行っている弁護士からすれば考えられないようなことだと思う。

 最近は何かといえば「誹謗中傷だ!」と騒ぎ「法的措置を執る」というパターンが多いが、死ねとか犯罪の予告や、個人情報の「晒し」とか全くの虚偽情報の流布などであれば十分に理解できるが、単なる意見論評を「誹謗中傷」と捉える動きが増加し、批判的な意見を「誹謗中傷」と切り取る事が日常化しているように思えてならない。

 以前は「名誉棄損」というと紙媒体で報じられたりした内容についての争いがほとんどであったが、ネット時代となってからはSNSや5chのような掲示板になされた投稿などが問題になる事がほとんどとなってきたわけだ。

 損害賠償請求というのは、その名の通りで発生した損害についての賠償請求であり、相手に「懲罰」を与える趣旨では無いわけだが、最近は「発信者情報開示」についても、賠償請求にしても何らかの脅しのように使われることが多くなった。深刻な誹謗中傷被害に苦しむ人は相手方に対して「震えて眠れ」なんて事は言わないだろうし、「手遅れになる前に示談を」なんて言わないだろう。そこまでの被害を受けた方には、当該投稿の削除請求と共に刑事告訴を行う事をマトモな弁護士なら勧めるはずなのである。

 くだらないドラマを持ち出して「倍返し」とか「やりかえす」などと述べるお方もいるようだが、民事訴訟は「復讐」の道具などでは無く、「やられたらやり返す」ために提起するものではないのであるが、そんな事を理解しないでSNSで情報発信する連中が増加したということだろう。また「やり返したいです」なんていう相談者からの依頼を受ける弁護士もどうかしてると思うが、法律を「仕返し」の道具としか思っていない依頼者を拒絶できない弁護士が増加しているという訳なのである。

 筆者は「倍返し」などという言葉は大嫌いである。出来の悪い「ヤミ金」やブラック企業の連中が好んで使う言葉でもあり、マトモな大人が「倍返し」などと述べることは品性下劣であることを宣伝しているようにしか思えないからだ。「やり返す」事を続けるのは無間地獄をさまようようなものである。絶対正義は自分にあると考え、憎しみや報復感情を抱き続け、「やり返す」事を続けることに楽しみを感じる人もいるかもしれないが、そんな人間とは関わらないほうが良いはずだ。

 「やり返す」事を考えるのは大人げがないというよりも、品性が無いわけである。また「やり返す」ことをすれば相手も「やり返す」ことも予想され問題の解決が永遠に出来ない可能性も出てくるわけである。淡々と損害を算定し賠償を請求することを企図するわけではなく、相手に苦痛を与えることを目的とした訴訟など何も良いことなど無いだろう。自分の請求が認容された際には「勝った勝った」と大騒ぎし、不適切な行為をした際にはダンマリを決め込むような人間なら面の皮が厚いだろうから、何があろうと自分は悪くない「裁判官ガチャだ」と言い切るのであろう。そういう人には、つける薬はないのである。

しかしながら、そんな人にもヴォルテールの寛容論でも読んで欲しいと思う。寛容の美徳というのを理解して欲しいと思うからだ。(無理かな)

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