熊谷誠弁護士の懲戒処分の変更 事務員にセクハラなどを行うような先生たちには、チャンネー教に入信して自らの身を律するべく修行して欲しいと思いますね

自由と正義11月号に熊谷誠弁護士(山形)の懲戒処分の変更の公告が掲載されていたので以下に引用する。

1 処分を受けた弁護士 

  氏名 熊谷 誠                   登録番号 15062

  事務所 住所は割愛 熊谷誠法律事務所

2 処分の内容 業務停止1月

3 処分の理由の要旨

(1)被懲戒者は、同人経営の法律事務所の職員である懲戒請求者に対し、約半年の間に6回、マッサージとして懲戒請求者の体に触れる行為を行ったり、性的な意味も含む「事務所で抱き合っていたら、私も一発でうつっていたよね。」「事務所の部屋から二人で汗だくで出てきたら、二人で抱き合っていたと思われるよ。」との発言を行ったりしたが、このような行為は、いずれも懲戒請求者に対して強い不快感や嫌悪感ないし屈辱感を与えるものであり、職場における女性職員に対する言動としては極めて不適切であったと言わざるを得ない。

(2)懲戒請求者は、その後、法律事務所を退職したが、上記の行為に起因するストレスのため、適応障害との診断を受け、病状は改善傾向にあるとされるものの、令和3年3月19日の時点において、なお通院治療を要する状態であった事が認められる。

(3)以上によれば、被懲戒者が過去に懲戒処分を受けたことが無く、自らの行為を反省していることなどを考慮しても、原弁護士会の被懲戒者を戒告するとの処分は軽きに過ぎて不当であり、原弁護士会の処分を変更し、被懲戒者の業務を1月間停止することが相当である。

(4)なお、いまだ被懲戒者が懲戒請求者に対する被害弁償を行っていないのは、被懲戒者が、懲戒請求者が求める1000万円の一括支払による和解には応じられないとして。訴訟での解決を予想していたためと考えられ、係る被懲戒者の対応は理解できないところではないことから、被懲戒者が被害弁償をしていないことは、処分の量定に当たっては特段の考慮はしない。

4 処分が効力を生じた年月日 2022年9月24日

引用以上

 上記の公告にもあるとおり、山形県弁護士会においては「戒告」の処分であったわけである。

【参考リンク】

事務員へのセクハラは戒告で済ませるのが弁護士自治のようです 東北弁護士連合会の会長も務めた熊谷誠弁護士(山形)は事務員の人権は尊重しないようです

 今回の公告では、熊谷弁護士の行為の気色悪さが、山形県弁護士会の処分の際の公告よりも良く理解できるようになっており、こんなことをされた被害者の恐怖と困惑は想像を絶するものであった事も理解できるのである。

 東北弁護士連合会の会長も務めた山形県の有名弁護士である熊谷弁護士が、事務所内での自らの優越的な地位を利用したセクハラ行為を行ったのであるから、山形県弁護士会の会員や懲戒委員会も驚愕したとは思うが、「戒告」などという「忖度」としか思えない処分で済ませたことは大いに反省して欲しいと思う。日弁連は業務停止1月に変更はしたが、やっていた行為の執拗さや、被害者の病状から考えればもっと重い処分を下すべきではなかったと思うのである。

 こんなセクハラ行為は弁護士にあるまじき行為であることは間違いないわけだが、筆者にはTwitter上で「チャンネー教」の福音を伝道している弁護士に品位が無いから批判的に取り上げて欲しいなど言う意見も寄せられたこともある。そんなチャンネー教の使途と思しき人のツイートを見る限りは「ネタ」でしかないと思うのと、なかなか機知に富んでいる内容であったので、特に目くじらを立てる必要は無いし笑える内容だか無害であるというのが筆者の意見であり批判する必要などあるわけもないと思われた。

筆者が理解するチャンネー教とは、ひたすらチャンネーのために尽くし、貢ぎ、見返りを求めたくとも求めず(瘦せ我慢で)、バカにされようと軽蔑されようと、ひたすらに崇拝対象のチャンネーのご機嫌を取るべく食事や買い物でお布施を施す事を教義にしているように思えた。様々な貢物をした後に、明らかに嘘と思われる言い訳でドタキャンなどをされても平常心を維持し痩せ我慢をして「また、今度で良いよ」といえるような態度を取る事は精神修養に他ならないとも思えるし、セクハラなんかに走るよりも、よほどマトモであり、チャンネーのために一喜一憂し、金銭もそれなりに使って自嘲することは、世の中思うようにはならないという事を身にしみて実感できることになるはずであり、行き過ぎたお布施は自らの生活を破壊する事になるので、生活と遊びのバランスを養うためにも良い事ではではないかと思うのである。  

 人間バランスが大事である。年老いて若く美しい異性に惹かれることがあるとしても、セクハラとかを行えば今までの人生の積み重ねは全て崩壊である事を自覚することも重要なのである。どんな立派な経歴でも、惚れられた異性の若者からしたら「単なる老人」という認識であり、自慢をすればする程ウザがられるだけなのであるが、立派な人たちには、そんな事が分からないのであろう。そんな事の無いように、社会を知るためにも適度な遊興は必要ではないかと考える。真面目一徹の人が年老いて「後妻業」などにコロリとやられてしまうことなどを見るたびに、そう心から思ってしまうのである。

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