現実を見ながらもお花畑を夢見るのが人間です。知ったかぶりの床屋政談を行う連中よりも平和への願いを述べる人を尊敬します

ロシアのウクライナ侵攻以降、「これが現実」という事ばかり述べる連中が増加している。武力には武力で対抗するしかないという「現実論」や、脳なしのアベらしい安易な「核シェアリング」とかなどについての床屋政談がネット上のあちこちで展開されている。

専門家の見識や知識は大いに参考になり、事態の理解の一助にはなるが、意味不明な謀論や自称事情通、自称歴史マニアなどの情報発信は痛いばかりであり、憲法9条や非核三原則を維持したままでは、我が国の防衛は果たせない、平和希求や武力放棄など「お花畑」であると繰り返し主張しているわけである。

日本国憲法が「押し付け」された憲法であり、軍隊を持つことを明記する自主憲法制定をという主張は今までも連綿と続いてきたわけであり、一つの意見であるとは思うが、先の大戦における悲惨な戦禍を体験した多くの日本国民は「新しい憲法」を支持したからこそ、国民的な改憲議論はなされなかったのだと思われる。

現実は現実として中国の軍事力の増強や、ロシア・北朝鮮の動向に合わせた防衛政策を行う必要がある事は当然であるが、そんな中でも「お花畑」のような理想論も論じ、わずかでもその実現の可能性を検討する必要もあるのである。

現実論というのは有体に言えば「カネと暴力」による現実認識である。それはそれで大事なことではあるが、どんな状況の中でも「綺麗事」による解決を模索したり、弱者切り捨てをやむなしとする現実論に対する異論を述べ続けて行くことができなければ、知性や文化が発達することはないのである。

それは、法律でも同様であろう。「悪法もまた法なり」という諦めではなく、絶えず悪法を更新していくような動きこそが「社会正義の実現」に寄与するものである事は認識するべきであるはずではないだろうか。

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