ミネルヴァの梟は多様性を求めると述べるのであれば、真の性的な自由について東弁は議論を行うべきでしょう どんな性癖でも尊重されるようにして欲しいですね

東京弁護士会の会長の新年のご挨拶が面白かった。表題は「ミネルヴァの梟は多様性を求める」というものであり、言うまでもなくヘーゲルの「法の哲学」の序文にある「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」という言葉をもじったものである。

【参考リンク】

新年のご挨拶~ミネルヴァの梟は多様性を求める 東京弁護士会 矢吹会長

 文章を読むと東弁の矢吹会長が教養人であることは良く理解するが、セクシャルマイノリティに寄り添うという姿勢は立派であるが、セクシャルマイノリティはLGBTQだけではないわけであり、「セクシュアル・マイノリティ無料電話相談」においては、ロリコンとか痴漢マニアとか覗き魔みたいな犯罪に直結する性癖の方もいると思うので、そのような人たちの相談にもぜひ乗って欲しいと思う。

 それにしてもヘーゲルの「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」という言葉の解釈は矢吹会長独特のものであると思われる。まぁどんな解釈をしても構わないとは思うが、ミネルヴァの梟は多様性よりも哲学的な真理を求めているような気がする。

 そういえば弁護士法人東京ミネルヴァ法律事務所という、非弁屋に食い荒らされて破産に至った弁護士法人も事務所名に「ミネルヴァ」を冠しているわけだが、この事務所には梟はいなかったようである。

筆者には同性愛者に偏見は無いが、まだ若い時分に上野にあった世界傑作劇場で三島由紀夫の自決をパロディ化したホモ映画(当時はこう言っていたからそのまま表現する)が上映されていると聞き、「ぴあ」で上映スケジュールを確認し、それを観に行った際に席に着いた瞬間に隣に男性が座ってきて股間をまさぐられた気色悪さは一生忘れられない思い出である。そんなところに行ったから、そうなったのであろうが、気色悪さと恐怖で声も出なくなり、早々に映画を見ないで劇場から退散し不忍池のほとりに出て深呼吸したことを鮮明に覚えている。だからどうだという事は無いのであるが、性の多様性を認めることは結構だが、その趣味の無い人にはハッキリ言って理解しがたい事もあることは理解して欲しいと切実に思うのである。それも多様性ではないのかとも思うのである。

多様性を認めることは良い事であると思うが、多様性を認めるという前提になる事は、自らが不快になるような事があってもやり過ごす寛容さであると思っている。それは法律でどうこうする事ではなく、教育の中で培うものではないだろうか。

 性の多様性を理解するために最善のテキストはサドの「ソドム120日」ではないだろうか?わが国ではパゾリーニの映画(邦題 ソドムの市)のほうが有名であると思われるが、矢吹会長や、東弁の理事の皆様にはぜひとも佐藤晴夫氏の全訳版を読んでいただき、性の多様性についての理解をさらに進めて欲しいと思う。澁澤ではないが、「サドの現代性」について再認識をする事は多様化のためには悪いことではないはずだと思うからだ。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中