表現者としての覚悟があるなら安易に「誹謗だ!」「中傷だ!」と騒ぐべきではないはずです。自分の表現の自由は主張しても、他人からの批判を許容できないのであれば、表現者としての資格はないでしょう

 最近はSNSによる情報発信などによる「誹謗中傷を許さない」という意見をよく目にするが、井戸端会議とか雑談レベルのSNSの情報を発信する一般人ならともかく、表現者として飯を食っている人達が何かといえば「誹謗だ中傷だ」と騒いで法的措置を執る事に筆者は強い違和感を抱いている。表現を商売とする者らは、自分の表現への批判に対する覚悟ぐらいあると考えているからだ。さらに言えば奇抜な容姿もネタにして表現をしている者たちについては、容姿についてのある程度の批判は覚悟して行っているわけだから、そのあたりの事を何かあれば「誹謗中傷だ!」と騒ぐのはどう考えても解せないわけであるが、そういう人たちは「自分に対する批判」を封じるために、「誹謗中傷を許さない」と主張しているようにしか思えない。

 いわれのない誹謗中傷は許されるわけもなく、作品がつまらないからと言って作家の人格まで否定することは許されないと思うが、自分の生活のために文章を綴ったり、情報発信をする者らの表現を「くだらない」「おかしい」「感覚が違う」「何考えているかわからない」などと批判することまで封じられることはあってはならないし、一般人に害を与えるような情報(反ワクチンとかエセ医療(血液クレンジングとか)の推奨)などには、誰もが批判を行う事は当然ではないかと思われる。

 程度の低い表現者は、自分の情報発信は問題なく、自分になされた批判は「絶対に許さない」「発信者情報を開示する」などと発信して「表現の自由」を阻害するのである。

 こんな問題について、表現者の身勝手な言い分についての批判を週刊実話WEBは9月29日付で報じている。

【参考リンク】

小室圭さん“ロン毛いじり”批判のはあちゅうに「ハゲ・デブいじり」の過去

 まぁ、はあちゅうさんのいうとおり「肌の色、髪型、体型などについて、他人があれこれ物申すのはハラスメントにあたり、タブー」というのは当然の事である。しかし、そんな表現を自分自身でしていたわけであり、上記の週刊実話WEBの指摘も尤もであろうと思われる。

「罪を犯した者の無い者だけが石を投げよ」という聖書の言葉を、安易に「誹謗中傷を許さない」と騒ぎ立てる人にはかみしめて欲しいと思うが、そんな奴らの秤は最初から傾いているので、「自分だけは正しい」と考えるのであろうから、はなから理解できないかもしれないが、自分の目の中に丸太があることを良く自覚することが自分のためにもなることを理解して欲しいと思う。

 安易な「誹謗中傷を許さない」という態度は、権力者などにとって都合よく使われかねない事にも注意をしておくべきであろう。権力者への批判を「誹謗中傷」と捉え、言論を封殺することも可能であり、表現の自由ということに全ての国民が考えをめぐらすべきなのである。安倍の演説にヤジを飛ばしただけで排除される時代である。「誹謗中傷」という言葉を恣意的に権力が使い、様々な表現の規制を図ることは極めて危険であることを国民は自覚するべきなのである。

 腐っても政党の実質的な党首である立花のような人間が自分のデタラメ極まりない言動・行動を批判されたからと言って、「誹謗中傷」などと主張する事は笑止千万だろうが、そんな主張を受けて訴訟を提起する弁護士もいるわけだから、あきれ果てるしかない。

 「誹謗中傷」を許さない社会になるべきであるとは思うが、一般的な批判・批評を許さない社会には絶対にしてはならないのである。

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