弁護士広告の変遷の経緯1 広告解禁前の実質的な弁護士広告

弁護士法人ミネルヴァ法律事務所の破産を機に弁護士広告の問題が注目されているので、弁護士広告の変遷の経緯を振り返ってみたい。

弁護士広告が解禁されたのは2000年(平成12年)のことであり、20年前のことである。広告解禁時から多かったのは債務整理に関する広告であるが、この広告解禁前の実質的な弁護士の広告がなされていたことを確認しておく必要がある。

 

1 スポーツ新聞や電話帳広告による低利一本化広告

この方式は「500万円まで即融資」「何件あっても可」とか「即金500 要社保」「他はダメでもあきらめないで」のような三行広告で多重債務者を引き寄せる方式であった。

この広告を目にした多重債務者が、その事務所に向かうと、債権者一覧表と身上書を記入し提出すると「審査担当」の人物から「うちでは出せませんね」「このままだと破綻は必至だから、弁護士に相談したらいかがですか?」と水を向けられ、案内される先が提携事務所なのである。90年代初めから、2000年ごろまではこのようなスタイルが多かった。このような広告の場合では、行き先が弁護士事務所でない場合では、「紹介屋」であり審査が甘い消費者金融を「コネがあるので出る」と紹介され、法外な手数料を取られることも多かった。ちなみに元公尽会の益子さんは、この頃から赤坂の弁護士事務所で提携業者から斡旋された客の送りを受ける担当者であった。

 

 【参考リンク】

  弁護士を飼うもの達のネットワーク

 

この頃の消費者金融の利息は年率40.004%が上限であり、大手が36%~
29.2%程度で、中小が上限の利息で貸し付けをしていた。

この頃の債務整理では、「過払い」の発生は前提とされておらず、弁護士介入後の残元本を分割して支払うような和解も多かった。

提携事務所は、弁済金を預かり口に入金させる以外に、弁済を代位して行う手数料として毎月当たり1万円を徴していた。多重債務者100人いれば管理料で100万円入るのである。当初はこのような方式であったのであるが、預り金の使い込みを図るものも増え、弁護士との委任契約締結後に「サラ金に払わなくてよくなった分を預かり口に振り込みなさい」というような方式が増加し、依頼者は弁済原資を貯めているつもりであった金銭を実質的に運転資金に充てたりすることが非弁事務所の多くで日常化したのである。

 

2 折り込みチラシ

折り込みチラシもこの時代から用いられ、上記と同じ「低利一本化」や任意団体による相談会というのも、この時代から存在した。

 

結局のところ弁護士広告とは言っても、現在も過去もその集客対象の大部分は「債務整理」の対象者であり、そのような中で「過払い」の判例が確立して一挙に様々な勢力が「過払い金」の獲得のために参入してきたのである。

また注目すべき点として、弁護士への集客のツールとして金融業者が用いられていた点である。これは債務整理の仲介にヤミ金から消費者金融まで多くの金融業者が介在していた事実から考えると興味深いものがある。

ちなみに、弁護士広告の解禁前も電話帳の広告だけは実質的に許されていた事も事実だ。職業別電話帳には「債務整理」についての文言を入れた弁護士事務所の広告がそれなりに存在したが、そのほとんどが「整理屋」であったことも事実である。

 

次回は弁護士広告解禁後の弁護士広告について考察する。

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