会長声明など出すことなんですか?東京弁護士会の表現の不自由展についての会長声明 芸術など社会に迎合するものではなく反社会的なものなのだから、批判も脅迫も「上等」という精神でバカの脅迫は跳ね返すべき

東京弁護士会は10月7日付で『「表現の不自由展・その後」展示再開の報に接しての会長声明』を公表した。

 

【参考リンク】

「表現の不自由展・その後」展示再開の報に接しての会長声明 東京弁護士会

 

表現の不自由展に脅迫電話を入れるような「ネトウヨ」が大バカ者である事は事実であり、自分の価値観(というか、自分が迎合する価値観)と相容れない考えを理解・許容できないような者らは社会不適合者であることも事実であるが、こんな事で「会長声明」を出す東京弁護士会はどうかしているとしか思えない。

そもそも芸術というものは社会の価値観に迎合するものではなく、社会的規範と対立することが多いものなのである。その表現がどのようなものであろうと、基本的には自由であるべきであるが、制作物に対する責任は作者が負うものであり、外野がどうこう言うものでは無いはずである。

東弁の会長様は大上段に「かの有名なピカソの「ゲルニカ」は、ナチスドイツによるゲルニカ爆撃を批判する内容であり、発表当初の評価は高くなかったが、後に反戦や抵抗のシンボルとして高く評価されるに至った。」などと述べているが、ピカソの事など述べること自体が権威主義であろう。筆者はピカソの絵など全く面白いと思わないし、だいたい何でピカソのゲルニカを俎板にあげるのか全く理解できない。芸術はその「物語」ではなく芸術作品そのもので評価すべきなのである。それに表現者自身はこの表現の不自由展の帰趨など気にもしていないだろう、気にしているのは運営者だけなのである。表現者は自分のしたい表現をするだけなのであり、過剰な意味づけなどすることは蛇足でしかないのである。

わが国でも諸外国のものでも「戦争芸術」の中には素晴らしいものもある。筆者は「山下・パーシバル両指令会見図」(宮本三郎)とか、ノモンハン事件を描いた「哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘」(藤田嗣治)など素晴らしい作品だと思っている。またレニ・リーフェンシュタールの「オリンピア」も大傑作だと思っている。芸術には右も左もない、あるのは美意識だけで良いのである。「美意識」の部分に東弁会長が声明を出すことは、まさに「的外れ」であり、声明を出すのであれば「知性に不自由なネット右翼の皆さんへ」として「自分と違う価値観を持つ人たちに脅迫行為とか嫌がらせはしてはダメですよ」という声明を出すべきだと筆者は考える。

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