元少年の死刑執行に日弁連が抗議 

時事通信は19日付で「元少年の死刑「罰受けるべき」=犯罪被害者ら評価、日弁連は抗議」として以下の記事を配信した。

 

犯行時19歳だった関光彦死刑囚(44)の刑が執行された19日、犯罪被害者からは「少年であっても罰を受けるべきだ」と肯定的な声が上がる一方、死刑廃止を求める宣言を昨年採択した日弁連は抗議声明を出した。

 執行後に記者会見した上川陽子法相は「慎重にも慎重な検討を加えた上で、死刑執行命令をした」と言葉を選んだが、法務省幹部は「年齢なども考慮した上で判決が確定している以上、全く問題ない」と言い切った。

 16歳の少年による暴行で長男を失った「少年犯罪被害当事者の会」代表の武るり子さんは「被害者4人の大切な将来を奪ったのだから、少年であっても罪に合った罰を受けるべきだ。それが抑止力につながると信じている」と話した。

 一方、日弁連は抗議声明で「成育環境の影響が非常に強い少年に、全ての責任を負わせ死刑にすることは、刑事司法のあり方として公正かも問われなければならない」と指摘した。 

 

引用以上

 

 筆者は以前にも述べたとおり、死刑に反対するのであれば「聖性」に基づくものでなければならないし、法を担保するものが聖性であることを認識するべきだとの考えである。

しかしながら我が国の法律を担保する聖性は、先の大戦後に無くなってしまったのである。だからと言って、理性としての「至高存在」があるという認識も存在しない我が国においては、死刑廃止論は無意味ではないかと思われるのである。

引用記事中に少年犯罪被害者当事者の会のコメントがあるが、全くそのとおりであり少年であっても罪に合った罰を受けることに異論を述べる国民は極めて少数であろう。

日弁連は、生育環境の影響を指摘するが確かに生育環境は重要である事は間違いないが、どんな劣悪な生育環境にあろうと犯罪に一切手を染めない人間も存在するのだから、生育環境を過大に問題視するのではなく、犯罪の態様・動機などから死刑判決が下されたことを理解するべきであろう。

死刑が執行された関光彦死刑囚は、再審請求を依頼していた弁護士に対して「4人が、おまえを許せないと言っているようで苦しい」と話していたそうである。関死刑囚の犯行は以下のリンクのとおり極めて身勝手で残忍な犯行である。関死刑囚も自責の念にさいなまれていたことは間違いないだろう。

 

【参考リンク】

14時間で一家四人を惨殺した関 光彦

 

今回の死刑執行は受刑者の事も救ったのではないかと筆者は考えてしまうが、日弁連のお考えをお聞かせ願いたいものである。

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