裁判員制度に意味はあるのか?死刑判決を減刑する「プロの判断」を国民は支持していません

時事通信は14日付で『「無期への減刑不当」=通り魔遺族、上告申し入れ―大阪』として以下の記事を配信した。

 

大阪・ミナミで男女2人が刺殺された通り魔事件で、殺人罪などに問われた礒飛京三被告(41)について、一審裁判員裁判の死刑判決を破棄し、無期懲役に減刑した大阪高裁判決は不当だとして、殺害された南野信吾さん=当時(42)=の妻の代理人弁護士らが14日、大阪高検に上告を求める申し入れ書を提出した。

 高裁判決は計画性が低いなどとしたが、申し入れ書は「通り魔は強固な意思で手当たり次第殺していくため、生命侵害の可能性は計画殺人と同じかそれ以上に高い」と指摘。「国民感覚に従った判決を破棄することは正義に反する」としている。

 

引用以上

 

裁判員裁判は「市民感覚」を法廷に持ち込むために採用されたのであるから、人殺しなど絶対に容認できない市民感覚からすれば刑が重くなる傾向は当然だと言えよう。またそれは国民が健全である事の証である。

裁判員裁判の判決は高裁で減刑されることがほとんどである。それは「プロの判断」として量刑の均衡に重きを置くからであろう。こんなことなら裁判員制度など導入した意味がないのではないだろうか?

ほとんどの国民は理不尽な殺人や、カネの亡者らによる特殊詐欺には厳罰を下してほしいと思っているのであるから、司法は国民の要望を検討するべきではないだろうか。もちろん、刑法の改正を行うことが前提であるが、カネのために人を殺す奴らや、人を殺してみたかった、誰でもよかったなどいう連中など生かしておいても治安を乱すだけである。そして特殊詐欺に勤しむカネの亡者たちには、詐欺にわずかでも加担しただけで死刑にするぐらいがちょうどよいのである。

暴力団古川組関係者を名乗る特殊詐欺の首魁である桐生成章は犯罪収益で海外旅行三昧であるそうだ(覚せい剤が目的との話もあります)。こんなクズどもがのさばって、犯罪被害者らは泣き寝入りというのはあまりにも不条理ではないだろうか。

人殺しや詐欺師に厳罰を与えられるような法改正を図らなければ、ますます犯罪者らが調子に乗るだけであることは間違いないだろう。

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