東京弁護士会 性の平等に関する委員会「シンポジウム「メディアとLGBT」”ホモネタ”って笑っていいの?」開催への違和感

東京弁護士会は来る2月21日に「メディアとLGBT」”ホモネタ”って笑っていいの?」というシンポジウムを開催するそうだ。

 

【参考リンク】

シンポジウム「メディアとLGBT」”ホモネタ”って笑っていいの?

 

 貴重な予算を、こんなシンポジウムに使うこと自体が理解できない。ホモでもレズでもない一般人にとっては同性愛は理解しがたいものであることは間違いないだろう。自然の本能に反して生産性(生殖性)のない同性愛が一般人に理解しがたいものである事は間違いないのである。

性的嗜好は、誰にも迷惑を掛けなければ何の問題もない事なので、自分がホモであるとかレズであるとか宣言する必要もないだろうと筆者は考えるのであるが、一般的な異性愛者が同性から愛を告白されれば戦慄を感じることはある意味当然なので(本能的に)それを差別とかと言われることには大きな違和感を覚えざるを得ない。

同性愛への抑圧は太古から行われている事であり、その理由は上述のとおり自然の摂理に反して生産性がない事であろう。聖書も同性愛を強く否定していることは誰でも知っているだろう。旧約のレビ記には「女と寝るように男と寝る者は、両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず処刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる」との記載がある。このような感覚が古代の常識であったのであろう。我が国は比較的同性愛に寛容な歴史があり、戦国時代は衆道が流行し、江戸時代も陰間茶屋などが存在した。しかしながら、当時は家(家名)の存続が大事であったことから、やはり同性愛はマイノリティであった事には変わりはない。

筆者はセクシャルマイノリティを差別する意図など全くないが、性的な領域を法律で何とかしようという事には大きな無理があると考えている。同性愛者の人権を守れというのであれば、ロリコンの性的嗜好も犯罪を起こさない限りは肯定されるべきでありロリコンに対する、メディアの差別的な取り上げが抑圧につながるといわなければならないだろう。東京弁護士会はロリコンの人権保護の活動はしないのであろうか?

性の領域は犯罪行為でない限り法律で裁けるものでは無いはずだ。抑圧とか差別と安易に述べる領域ではないのである。サドは著書「閨房哲学」の中でどんな性的嗜好も食べ物の好き嫌いと一緒のレベルでしかなく、おかしなことなど何もないと登場人物に述べさせている。確かにその通りであろう、またサドは「美徳の一つである親切心は、傲慢という悪徳でしかない」とも「貧しきものを救済する親切心は、貧しきものの努力を阻害するものでしかない」とも述べている。筆者はサドの主張は至極当然であると考えている。性的嗜好という極めて個人的な問題を「差別」とか「抑圧」で語ることは性的マイノリティの努力を阻むものでしかないことに東京弁護士会は気づいていただきたい。

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