法の支配という前に法律とは何かを考えるべき 哲学なき法は人を縛る鎖でしかない事を自覚することが弁護士の使命であるはず

最近は何かというと「法の支配」という言葉が出てくる。法律は誰にも平等であり厳正に運用され瑕疵がないとでも思っているような雰囲気である。果たして法の支配は国民を幸福にするのかよく考えることが必要であろう。

法律というのは基本的には支配者が作るものであり、本当に弱者のためにあるものであった事は歴史上ただの一度もないことも確かである。しかしながら、弱者たちは法律を駆使し因縁をつけ小銭を得ることが最近の風潮である。

司法制度改革は、弁護士を増員し「法による支配」のためには弁護士が大きな役割を担うという事であり、アメリカ型の訴訟社会でも目指したのかもしれないが、結果として国民は「クレーマー」化し、弁護士の良い顧客には成りえず無理筋の事件の受任を強要するものも増加している。ありえない筋の事件を弁護士が受任することになったのも「法テラス」という弁護士の経済を圧迫する組織を作ったことや、弁護士が支払った弁護士会費で設立された「公設事務所」などが多く立ち上げられている事にもよるだろう。通常は費用対効果や、キチガイの相手をしたくない普通の弁護士が断る事件の受け皿ができたのだから当然のことであろう。

法による支配という概念は、支配者・為政者に都合の良い概念である。我が国の戦前もれっきとした「法の支配」により国は運営されていた。その結果が、治安維持法の制定であったり、国家総動員法などであるのである。みなきちんとした手続きを踏まれ制定されたものである。いまさら「法の支配」を強調すること自体がおかしいのであるが、我が国は「人間関係」が「法による支配」を超越することを希望する人たちが多いからこそ、「法の支配」を強調するのかもしれない。

「裏口入学」「談合」などの利益を求め、政治家と接触する国民は多い。また警察幹部や検察とのパイプを強調する者たちも多く存在する。関東連合のチンピラから土建屋のオヤジまで「警察とのパイプ」を強調するのだからお笑いである。確かに不良警察官は存在するが、多くの警察官らはまっとうに業務を行っている。懲戒免職後も現在も元同僚に捜査情報を探る電話を入れている「今野」のような警察官は少数なのである。

犯罪の原因の中には救いがたい貧困や、親の教育放棄による無知という問題も現実に存在する。そのようなもの達には「法の支配」など何にも関係なく、明日の糧のために犯罪を犯すものもいるであろう。このような犯罪の原因は国の「不作為」であるとも考えることもできる。単純に法の支配という前に「法の哲学・精神」をよく思索することが弁護士には必要であるはずだと筆者は考える。

哲学なき法律の運用は単に人を縛る鎖でしかないことを全ての法曹は理解するべきであろう。

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